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花日記

 投稿者:トッポ  投稿日:2014年 3月 9日(日)21時48分1秒
   長いことつけてきた「はなせんせ」の「花日記」を3月末で休止しました。3月に入るといよいよガーデニングシーズン到来で、本気でオープンガーデンづくりに専念しないとオープンガーデンがオープンできないからというのが理由です。
 花日記の所期の目的は、2、3年後にオープンガーデンをオープンさせるために家の庭に何種類の花卉があるのか知りたいというたわいのないことでした。取り敢えず1年間続けると新たに植える植物の名前や性質を覚えるため、備忘録としての性格が出てきました。2、3年目は花日記に毎日花の写真を載せることが目的になってしまい、オープンガーデンを開園させるという所期の目的からずれていきました。3年7か月も毎日花の勉強をすると相当な知識が蓄えられたかというとそうでもありません。花の名前は花日記に載せた途端に忘れるものがほとんどです。ただ、路地植えの花でも鉢植えの花でも毎年同じ時期に咲くので、花の名前が分からなくなったときでもその時期の花日記を見ると分かるという利点がありました。花日記の1ページ目は検索が利くため、旅行、行事などがいつあったのかを調べることができてとても便利でした。花日記に写真を載せることにより、3日に1度は園芸店(ホームセンターの園芸コーナーを含む)を回り、家にまだない花卉を購入したことにより随分種類が増えました。単に庭づくりをするならこれほどの種類は買わなかったと思います。1種類のものを多数購入したに違いありません。色々な種類の植物を育てることにより、家の庭にあったものを見つけだすことができたことは花日記のお陰といってよいでしょう。自分のオープンガーデンの目標はいつ来ても花が咲いている庭をつくることでした。花日記に載せる写真を撮ることはその時期に咲く花を咲かせなければなりません。咲いている花を買ってくることが多かく、その時期に咲いている花を植えるということは次の年はその時期に花が見られるという楽しみがありましたが、実際には冬に咲く鉢植えの花は自然界だと2、3カ月後が開花時期だというものもあり、翌年の開花はその時期ではないことありました。
 この間、毎日つけていた日記は生きてきた証のようにも思えて生きがいになっていたのは確かでした。しかし、このまま続けていくことはオープンガーデンのオープンが遅くなるという思いが常にありました。3月から庭づくりに集中して早くオープンガーデンを完成させて、オープンになった庭を折々に載せていこうと思います。
 4月からさやま市民大学まちづくり学部「まちのガーデナー養成学科」に入学します。この学科は、園芸の基礎知識とオープンガーデンによるまちづくりを学び、花のまちづくりを担う人材の育成と仲間づくりを目指すもので、4月から来年の3月までの月1~3回(木曜日午前中)、全23回の講座です。
 内容は、「1 園芸の基礎(土壌と肥料の種類、播種と管理方法、花壇材料)から、オープンガーデンやコミュニティガーデンのデザインまでガーデニングの知識と技能を学びます。 2 オープンガーデンやコミュニティガーデンの先進地(長野県須坂市や小布施町などを予定)を視察し、ガーデニングの新しいトレンドを学びます。3 コンテナガーデンづくりでは、おしゃれな演出方法を学びます。また、ハーブを使った料理レシピやクラフト、花壇デザインなどの学習で、園芸の楽しみを深めます。 4 ガーデニング技術の習得とともに「花好き」の仲間づくりを進め、花のまちづくりを目指します。」というものです。友人から募集案内が来て、この講座は私のために開設してくれたように感じるほどぴったりでした。
 この学科は、オープンガーデンをしたい人が受講するので、終了後は受講生でオープンガーデンの会を立ち上げることになるでしょう。狭山市ではまだオープンガーデンの会がありません。私の庭1軒だけではオープンガーデンがしにくいので何件か集まり会をつくってオープンガーデンを開くのが一般的です。なので、オープンガーデンの会がなければ自分が立ち上げようかとも思っていましたが、それには相当なエネルギーが必要で、そちらに時間を費やしたら自分のオープンガーデンがなかなか開けないという思いがありました。しかし、定員の25人全員がオープンガーデンを目指しているので、オープンガーデンの会が立ち上がることは確実です。それは、昨年の8月31日にNPOさやま環境市民ネットワーク主催の「環境まちづくり塾」のワークショップでオープンガーデンによるまちづくりをしたいという意見を述べたときに、コーディネーターを務めたNPO法人グリーンオフィスさやま代表理事の毛塚さんからオープンガーデンの会を立ち上げる際は協力しますよというコメントをいただいていて、今回の講座で、「花のまちづくりの意義と目的」を講義するからです。
 ガーデナー養成講座を受講することになり、漸く自分の未来が見えてきたような気がしています。
 以上は、表向きの理由で、実際の理由はストーカーが現れたからです。私の加入している合唱団、卓球サークルに入ってきて、花日記にもコメントを入れてきます。高校の時に一緒に美術部にいたということですが、他の美術部の人に聞いてもその人がいたという記憶はないということでした。高校の同窓会のときに知り合ったのですが、私がオープンガーデンをするために、毎日花を植えたり、草むしりをしたりして、ガーデニングをして、その勉強のために、「はなせんせ」の「花日記」というブログに毎日花のことを載せているのだと話すと、「花日記」の会員になり、コメントをいれ、草むしりをしに来てくれました。合唱や卓球のサークルまで入ってこられてはさすがに付きまとわれていると感じて、携帯メールや花日記のコメントを入れないで、欲しいと頼んでも聞き入れてもらえず、しばらくの間休止するというのが真相です。
 市民大学のガーデナー養成学科は、定員25名のところ50名近くの申し込みがあり、抽選となるため、3月末の時点では入れるかどうか分からなかったのですが、8日に受講決定通知が来て、めでたく受講できることになり良かったです。
 今年は、いよいよオープンガーデンがオープンになりますので、さの節は是非観に来てください。
 
 

芋煮会

 投稿者:トッポ  投稿日:2013年 3月 5日(火)00時22分19秒
編集済
   『東日本大震災復興支援チャリティー芋煮会』を次のとおり開催します。
日 時 平成25年3月9日(土)12時から日没まで
    ※前日の天気予報で雨や強風など悪天候が予想される場合は中止します。
    催行のお知らせを前日にメールでお知らせします。
会 場 トッポの自宅の庭
会 費 千円※収益は日本赤十字社を通じて東日本大震災義援金にします。
参加者 卓球、囲碁、ほりっこスタッフ仲間20人程度
芋 煮 山形風芋煮と仙台風芋煮の2種類をつくり両方の味が楽しめます。
    サトイモは三芳町むさし野自然農園様の寄附によります。
履 物 会場は元畑の泥の上なので汚れてもいい靴を着用のこと。
 

あっけない代表交代

 投稿者:トッポ  投稿日:2013年 2月 9日(土)23時53分6秒
   S.T.C(狭山台卓球クラブ)の代表を仕事の忙しい期間の4年をはさんで前後4年ずつ、トータル8年務めてきました。後半の4年間は既に体育館が自主管理になっていた時で、それぞれのクラブチームで鍵を預かり、開け閉めをするようになっていました。鍵は2つ預かっているので、休めないこともないのですが、代表としてこの4年間は父の葬儀と沖縄への祝儀の出席のために2回だけ欠席しただけでした。それ以外は、有志のクラス会があってもS.T.Cに出席しました。一昨年の8月に鍵を無くして、10月から12月まで3ヵ月間の利用停止になり、皆んなに迷惑をかけ、代表を辞任させて欲しいとお願いしましたが、引き受けてくれる人がいなかったので、24年度も引き続き代表をしてしまいました。メンバーでくじ引きをしてでも今年こそは代表を交代してもらおうと思っていましたが、すんなりいくとは思いませんでした。
 S.T.Cの練習は、始めに20分ぐらい基本練習をして、ミーティング、試合形式の練習という日程で行っていますが、始めの基本練習がたまたま10月に加入した人としていました。手を休めて彼に近づき、「年度末が来て、代表を交代しなければならないのですが、もう皆んな代表をやってきたので、まだしていない人にお願いしようと思っています。代表は1年交代です。代表のすることは、運営委員会に出席する割り振りぐらいなので、ほとんどすることはありません。体育館の鍵を教育委員会から2つ預かっていますが、金曜日と日曜日の卓球の分もあるので6人の人が持っていて、誰かが先に来て開けてくれます。お願いできませんでしょうか。」というと、「いいですよ。」と言ってもらえたので、その後のミーティングのときに、「今から総会をして来年度の代表を決めたいと思いますが、立候補者はいますか。」と型どおりの形式を踏んでから、「いないようなので、Kさんにお願いします。」と指名し、みんなの拍手があり、Kさんも、「入ったばかりで、よく分かりませんが、よろしくお願いします。」と挨拶をされ、新年度から交代することができました。
 こんなに簡単に代表が交代できるとは思っていなかったので、あっけなかったです。4月から一つ肩の荷が下りたという感じです。
 

結果オーライ

 投稿者:トッポ  投稿日:2012年11月13日(火)23時53分16秒
   社団法人所沢法人会の主催で公開講演会がある日でした。忘れていて外で庭いじりをしていると妻が午後2時30分から何かあるんじゃなかったのというので、時計を見ると2時40分になっていました。今日は行かないといったんは言ったものの、第2部のテーマが「あなたも分かるホンモノとニセモノ」で、古美術鑑定家 中島誠之助氏の講演でした。第1部は所沢税務署長の講話で、直ぐ行けば第2部の講演に間に合うかも知れないと急いで出かけることにしました。
 道路は空いていました。2車線の道路で前にトラックがのろのろと走っていましたが、いずれ右折をするようなのでその車の後についていくと信号が赤に変わりかなり待たされました。この時に左車線を走って前のトラックの前に出ていれば右折の信号がちょうど出て待たずに行けたのになと思い、信号を待っている間に今日はついていないなと感じました。会場の所沢中央公民館に入るとホールは2階にあることが分かり、階段で2階に上がろうとすると、階段の前に「ホールは外の階段をご利用ください。」と立看板がありました。意味が分からず、エレベータで2階にあがると、やはり「ホールは外の階段をご利用ください。」という立看板がありました。2階を歩き回ったがどこも行き止りでまたエレベータで1階に降りて、職員に聞くと、「いったん外に出て右の方に行き階段を上がってください。」と言われ、行くことができました。「まだ、入れますか。」と聞くと受付に聞くと、「申し訳ありません。講師の先生が、繊細な方で受付け途中の入場はできないのです。10分前に締め切りました。」と言われ、真っすぐ帰ってきました。
 やはり今日はついていないなと思ったのですが、「ちょうど良い、頼まれていたハンディスポーツクラブの今までの写真データをUSBに入れてしまおう」と作業をしました。写真データのCDアルバムを探したら、今は使っていない2階のシャワー室に不要なものと一緒に押し込んであり、シャワー室を片付け、頼まれていた作業も終えることができました。写真データはハンディスポーツクラブが来年30周年を迎えるので、記念誌制作委員会のメンバーに2か月も前に今までの旅行の写真です。
 文化講演会も聞きたかったのですが、庭造りもできて、部屋も片付き、頼まれた仕事も終え、今日の卓球のサークルで渡すことができ、受付けに間に合わなかったお陰で、ラッキーな日となりました。
 

震災から1年半

 投稿者:トッポ  投稿日:2012年 9月12日(水)22時26分0秒
   昨日(11日)は、東日本大震災から1年半が経つため、新聞は関連記事を載せていました。見出しに南三陸と出ていたので、その記事を読みました。2度読んで同じところまでくると涙が出ました。南三陸ホテル観洋の語り部バスに乗り見学した防災対策庁舎で津波にのまれた役場職員の父と弟のことを書いた記事だと分かった瞬間からでした。
 その記事というのは、2012年9月11日(火)付けの毎日新聞朝刊で、今も港で一人泣く父と、姉を捜し海へ 宮城・南三陸の漁師「爪のかけらでも」という見出しです。
 この記事を読んで涙を流して読むのは私だけなのだろうか知りたいと思います。以下が記事の全文です。

 あの日まで、大切な人は確かにここにいた。生きた証しを取り戻したい。東日本大震災から11日で1年半。被災地には今も行方不明の家族を捜し続ける人たちがいる。【竹内良和】
 237人が見つかっていない宮城県南三陸町。漁師の千葉仁志さん(34)は沖に出るたび、姉の小野寺光子さん(行方不明時35歳)を捜す。「爪のかけらでもいい。ミイ、おれはあきらめないよ」。波間に目を凝らし、網を祈るように引き揚げる。
 町東部にある歌津半島。千葉さんは震災後間もなく、父正志さん(64)と海に出ては網を仕掛け、朝に晩に引き揚げた。魚を取りたかったわけではなかった。「ミイだけでなく、他の人も見つけられたら」。網にかかるのは布団や衣類ばかり。やがて本格的な漁も再開した。季節の魚がかかるたびに思う。「サケかあ。ミイは筋子が好物だったな。もう一度、食わせてやりてえな」
 昨年3月11日。父子は家族を高台に避難させた後、津波から漁船を守るため沖に出た。2日後、陸に上がると浜の自宅は消えていた。同居する5人の家族は無事だったが、近くに嫁いだ光子さんの行方が分からない。南三陸町役場の議会事務局で働いていた。
 仁志さんは父と役場周辺を歩き続けた。光子さんの姿はない。同僚らの話で、42人が犠牲になった町の防災対策庁舎で津波にのまれたと知った。当時の映像を持っていた人がいたが、つらくて目を向けられなかった。
 震災から5カ月後の月命日。骨組みだけが残った庁舎に、父母と3人で線香をあげに行った。父は泣きながら庁舎の柱をたたいた。
 2人きりのきょうだいで、家族思いの姉だった。父と漁に出ていた祖父が倒れ、家計に余裕がないと知り、大学進学をあきらめ仙台の専門学校に進んだ。自分の暮らしは質素なのに、帰省するたび、家族に土産を買ってきた。後になり、デパートで販売員のアルバイトをしながら学費を工面していたと聞いた。
 ワカメやカキの養殖施設も流され、仮設住宅から裸一貫で再出発を図っている。光子さんを奪った海で生き続けるしかない。震災後、父は人に会うと穏やかな顔で笑う。でも仁志さんは知っている。朝早く漁港に着くと、父は一人で泣いている。
 「無理でねえかって思うこともある。だけど、おやじとお袋の腕の中に少しでも早く連れてってやりてえ」。網の手入れをする小さな父の背中を見つめた。

 この記事を読んで、仮設住宅にいる従姉妹(従兄弟の妻)に電話して知っている人か尋ねると知らない人だということでした。
 

丈夫なペチュニア

 投稿者:トッポ  投稿日:2012年 7月28日(土)15時05分40秒
   13日は父の月命日なのとお盆前で草が伸びているだろうからと、墓掃除を兼ね墓参りに母、妻、私の3人で行きました。墓の外の空き地はかなり草が伸びていたので、母と私が空き地の草をとり、妻が墓の中の草をとりました。墓の階段に花が咲いているペチュニアの株が抜いてあるので、どうしてここにあるのかを聞くと、妻がそこに生えていたと答えました。墓の隅で邪魔になるわけではないので抜かなくてもいいのに思いました。暑さが厳しいので、生きつかないだろうと思いながら、生えていたという場所に植えてあげました。
 今日(28日)は、妻恋ヶ原共同墓地管理組合の清掃日兼総会なので、墓に行ってみるとなんとペチュニアが根づいて咲いていました。よくぞ生きていてくれたと嬉しくなりました。墓に置いてある湯飲み茶わんで水を汲んで2杯あげてきましたが、もっと上げてくれば良かったです。一雨欲しいところです。
 それにしても、何で生えていたのでしょう。周りのどこを見てもペチュニアは咲いていません。こぼれ種ということではなさそうです。鳥が運んできたのでしょうか。それとも風で種が飛ばされてきたのでしょうか。こんなに強い花ならば来年も咲くことでしょう。
 

コミ cafe ココベリー

 投稿者:トッポ  投稿日:2012年 3月17日(土)19時06分56秒
   ほりっこのスタッフを一緒にしている友人が仲間とともに新狭山ハイツのまるた小屋でコミュニティ・カフェ「コミcafe ココベリー」を始め、3月15日にオープンしました。ココベリーとはココロ、ベリーナイス・ホットの略称とのことです。
 オープン時間の11時を少し過ぎに鉢植えの花を持ってお祝いに駆けつけると、ちょうど友人が出てきて扉を開け中に入ると、中で構えていた狭山ケーブルテレビのビデオカメラで撮影されて驚きました。どうやら開店第1号の客になってしまったようです。後からお客がぞろぞろ入ってきたので、安心しました。
 今のところ、第1、第3木曜日の午前11時から午後4時の開店です。まるた小屋は、35年前にできた770世帯ほどの団地内にあります。高齢者世帯が増え、団地内にあったスーパーマーケットも撤退した今、地域のたまり場をつくろうと自治会が1年をかけ計画し、30歳代から70歳代の主婦がスタッフになり、コミュニティ・カフェを準備していたものです。
 メニューは、コーヒー・紅茶・日本茶(いずれもクッキー付)で200円です。なかでは、手づくりのパンやクッキーを販売しています。私は、コーヒーとお薦めのティラミスのケーキを注文しましたが、とろける美味しさがありました。
 友人は、「続けて来ていただけるような、素敵なココベリーの実を育てたい。」と語っていました。ココベリーの木が大きく育ち、たくさんの実がなるよう願っています。
 

永遠の絆 チャリティコンサート

 投稿者:トッポ  投稿日:2012年 1月28日(土)23時15分12秒
  「入場料は被災地へ チャリティー音楽祭」の新聞の見出しが出ていたので、今日、所沢市並木公民館で開催された第5回所沢カントリーミーティングに行ってきました。
 プログラムには『永遠の絆 チャリティーコンサート』と銘打たれ、会場に入ると舞台にはアメリカ国旗を中央に州の旗が飾ってあり、カウボーイの格好をした人ばかりで、突然外国に来た感じでした。
 昔、所沢の友人がカントリーでバンジョーを弾いていたので出演しているかと思いましたが、彼はいませんでした。彼の影響でカントリーミュージックは好きでした。
 午前中は、堀兼公民館と青少年育成堀兼地域会議主催の『昔の遊びと餅つき大会』があり、「ほりっこ」(地域子ども教室)もスタッフとして協力していたため、途中からの入場になりました。12チームの出演の中で7番目の終わりから見ましたが、ブルーグラス、カントリーダンス、カントリーなど多彩な舞台でした。カントリーミュージックに合わせてダンシングチームが踊るところを見るのも初めてでした。出演チームの活動拠点は地元所沢を初め、新座、多摩、横浜、銀座など都内だったり、大学や職場のサークルだったりして、さながらカントリーミュージシャンの祭典のようでした。
 最後は、『Will the circle be unbroken(永遠の絆)』の演奏と合唱で参加者全員が一体になり、音楽を楽しむことができました。来年も聴きたいお勧めのライブでした。
 

クリスマスコンサート

 投稿者:トッポ  投稿日:2011年12月13日(火)01時27分17秒
   父の葬儀にはご多用のところご会葬いただき、かつご鄭重なるご香料を賜りご厚情誠にありがたく感謝に耐えません。謹んで、御礼申し上げます。
 8月にパソコンのハードディスクが壊れ、5夫婦の会の掲示板が探せなくなり、ご無沙汰をしていました。
 私が所属していますさやま川の街合唱団の『第8回X'mas コンサート』を次のとおり開催しますので、是非お越しください。
 期日:平成23年12月17日(土)午後2時~4時
 場所:狭山市立入間川小学校2F 多目的ホール
 曲目:1 はにゅうの宿 2 旅人よ 3 ありがとう 4 さやかに星はきらめき 5 あすという日が 6 EVVIVA友だち 7 手をつなごう 8 COSMOS 9 Voyager 10 My Way  11 道標
 特別出演:狭山少年少女合唱団(ぼくらは仲間、世界が一つになるまで)
 8、9の『COSMOS』と『Voyager』は、音楽ユニットであるアクアマリンに所属するミマスさんによって作詞 ・作曲された楽曲ですが、そのミマスさんが来てくださり、一緒に歌ってくださいます。
 狭山少年少女合唱団の澄んだ歌声と声量のある大人の混声合唱団との競演や4の『さやかに星はきらめき』のソプラノ独唱などが聴きどころです。
 以下に、当日のプログラムの「指導者のあいさつ」を載せますのでご覧ください。
「ご来場の皆様、本日は誠にありがとうございます。
 平成16年5月14日に産声を上げた『さやま・川の街合唱団』は、現在7歳半になります。練習は月2回ですが、団員は音楽が好きで、歌を心から楽しみ、熱心に練習に取り組んでいます。
 今年は3月に起きた東日本大震災の影響で、『桜まつり』などいくつかの行事が中止になってしまいました。しかし、私たちは歌うことで自分自身や仲間達、そして周りの様々な方々に元気や希望を届けたいと考えています。
 本日は、第8回クリスマスコンサートを開催することができ、大変嬉しく思っています。ここにお集まりくださった皆様と団員とが心を一つにし、共に楽しみ、生きる希望や勇気がわいてくるようなメッセージ、そして私たち一人一人の歌への思いが、ぜひ皆様の心に届くように歌いたいと思います。
 これからも、私たちは『心に太陽を、くちびるには歌を』の精神で、楽しく・仲良く・朗らかに歌い続けてゆきたいと思います。皆様の応援をよろしくお願いいたします。」
 

Ⅴ優勝 おめでとう!

 投稿者:トッポ  投稿日:2011年 7月18日(月)22時56分3秒
   ナデシコジャパン、世界一 おめでとう! まずは、この快挙を祝福したいと思います。
 普段だったら必ずテレビ観戦をして応援をするのに、4時半からは草むしりをしなければならないという強迫観念に負けて、草むしりと花植えを行いました。前半戦は明らかにアメリカに押されていて、点が入らなかったのがラッキーだったと思える場面が多かったため、後半戦を見ないで草むしりに気持ちを向かわせた理由になったのかも知れません。7時半前に上がってくると、日本の優勝を伝えていて驚きました。
 花は、ニチニチソウを植えました。一昨日、高校のときの同級生から、ニチニチソウ、ヒャクニチソウ、コリウスなど6ケースをもらい、早く植えた方がいいといわれていたので、花壇と芝生の間に緩衝地帯を設けてあったところに植えつけました。
 今日は、堀兼神社の天王様でお囃子の奉納と子どもたちにお神輿を担がせにいかなければならなかったので、植え残った5ケースはお囃子から帰ってきた夕方にはすっかり萎れていました。明日は、待望の雨が降りそうなので、庭や畑の植物たちも一息つけそうです。(花日記より)
 

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